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Vintage Wings of Canada, Ottawa, Canada

カナダ・ケベック州のガティノー・オタワ・エグゼクティブ空港の一角に開設された航空博物館ヴィンテージ・ウィングス・オブ・カナダ。未来の世代に「航空遺産」の歴史的意義を伝えることを目標に、大戦機を中心に現在14機がコレクションされ、その航空機のほとんどは飛行可能な状態にあるか、飛行可能な状態に修復中である。


歴史を再現

「航空機遺産」維持への情熱

ヴィンテージ・ウィングス・オブ・カナダはオタワの資産家として有名なマイケル・ポッター(Michael Potter)氏によって2006年に開設された航空博物館である。ポッター氏は、高校時代から続けてきたグライダーの経験、加えてカナダロイヤルミリタリーカレッジを卒業(1966年)した経歴の持ち主である。また、ビジネス面では、カナダでソフトウエアー会社(コグノス/Cognos)を立ち上げた実業家でもある。彼は、大戦機を中心とした航空機保存への情熱を前に進めるため1995年に同社を引退。5年の歳月をかけガティノー・オタワ・エグゼクティブ空港に23,000平米の格納庫とメンテナンス施設を建設し、2000年からカナダの航空史に影響を与えた航空機のコレクションをスタートする。

 同年、ビーチクラフト社(米)が開発したスタッガーウィングとスーパーマリン社(英)で開発されたスピットファイアを購入。早速、購入したスピットファイアと所縁のある元戦闘機パイロットを招待し機体の展示と講演会を開催し、先の大戦に従軍したパイロットやその家族、そして多くの若者に感動を享受できる機会を演出した。この時、ポッター氏は、カナダの航空史にヴィンテージ航空機が果たす社会的な役割を実感したと伝えられている。

その後も航空機のコレクションは2008年まで続けられ、P-51ムスタング、ホーカー ハリケーン、コルセアやデ・ハビランド・カナダ・モスなどが貴重なコレクションとしてラインナップされていった。

ポッター氏は航空機の管理、展示、飛行までを支援する内部組織の編成に尽力する。先ずはプロのパイロットと整備員を募集し、コレクションした航空機の管理を外部に委託、機体や格納庫の清掃、ツアー、事務作業、航空ショーのサポートなどを行う組織を作り上げていった。


支援のうねり

しかしコレクションもその数が増えてくると、当初参加したボランティアだけでは手が回らなくなり、整備、修復と広報活動(機体展示)、航空ショーや資金を管理する組織が急務となり、2004年に非営利の「慈善団体」を設立する。

整備と修復については専門の会社が有給でスタッフを派遣し、広報活動と航空ショーを管理する部分はボランテイアが主導する組織として「ヴィンテージ・ウィングス」というブランドのもとで再スタートを切ったのである。

今回お話を伺った当博物館の専任ガイド、ブルネット氏の説明によると現在、ヴィンテージ・ウィングスには100名以上のボランティアが登録されており、格納庫の清掃から煩雑な事務処理、SNSやホームページの更新などの広報活動、そして航空ショーの運営から実施までを履行する重要な役割を担っている。

そして運営には欠かせない資金面では、国内外からの「寄付」による支援が日々の運営における大きな割合を占めており、また有料メンバーシップ(1年間)制で積み上がった会費の一部はイベントの運営やホームページの運営費用に充てられる。また、年間のメンバーへの特典は航空イベントへの無料参加や飛行体験(有料)への優先予約、トークショーや勉強会への参加などメンバー専用のサイトから申し込みができ、現時点(2022年10月)では170名が登録されている。この2年間に渡る新型コロナの感染拡大もあり各種イベントは中止に追い込まれ、メンバー数は1/3まで減ってしまったが、制限が解除され人的交流もできるようになったので、自分たちの航空機を活用した歴史教育そして飛行プログラムを充実させ、会員数を増やしていきたいとその抱負を語ってくれた。


蘇ったレジェンド達

飛行可能な状態に維持され、毎年夏の間、航空ショーイベントや軍の記念飛行、その他の特別なイベントで展示飛行を行うこの団体が直接所有する機体の一部を紹介したい。



ノースアメリカンP-51D ムスタング

航空機製造の分野では後発であったノースアメリカン・アビエーション社が初めて設計した戦闘機がP-51であったことは読者のみなさんもご周知のとおりである。

レシプロ単発単座戦闘機の試作機として計画立案から9カ月未満という、驚異的な短期間で完成したNA-73Xが1940年10月26日に初飛行に成功し、1942年1月から英国空軍(610機)、同年8月からアメリカ陸軍航空空軍(57機)が運用を開始した。

初期型は凡庸な性能に加え、短期間の設計であったため複数の問題も抱えていたが、操縦性は良好であった。エンジンはアリソン・エンジン社製V-1710エンジンを搭載していたが、非力で高高度での作戦行動には十分に対応はできなかったため、ロールス・ロイスが開発したスーパーチャージング技術(マーリン61)が導入されるとそれに見合う高高度性能を発揮し、1943年末頃から、P-51(B型/C型)が爆撃機の長距離護衛を任され、これにより連合軍はドイツ領奥地での爆撃が可能となった。ここに展示されているD型は、それまで課題となっていた後方視界について、コックピット後部胴体を低くし、新たにホーカー・タイフーンで採用されていた枠の無い水滴型キャノピー(バブルキャノピー)を装備し、これにより優れた全周視界を確保した卓越した機体となった。

展示機体の塗装は第二次世界大戦末期の1945年3月に連合軍の欧州侵攻に備え、B-17をはじめとする長距離爆撃機の護衛任務などカナダで編成された442飛行隊で活躍したカナダ人パイロットであるオタワの二人の兄弟、ラリー・ロビラードとロッキー・ロビヤードの活躍を讃えた塗装が施されている。


ホーカー ハリケーンMk.Xll

1935年11月6日、試作機「ハリケーンK5083」が初飛行を行った。戦闘機、対地攻撃機として開発された機体各所には木材や帆布を多用し、エンジンやコックピットには鋼管をアルミニウム合金で覆ったものであり、「戦闘機」としては前時代的といわざるを得ない旧式な構造であり、同時期に運用されたスピットファイアのような全金属・モノコック構造の戦闘機とは対照的であった。しかし、一方でハリケーンはその構造から敵レーダーから探知されにくいという副次的な効果も戦術に活用でき、「軽くて頑丈」な戦闘機として、また軽量なため墜落時の速度が遅く乗員のサバイバビリティにも優れていた。

バトル・オブ・ブリテン期間(1940年7-10月)中、スピットファイアなどの戦闘機や対空砲火による敵機撃墜を含めても、総撃墜数の過半数をハリケーンが稼ぎ出した。ドイツ軍爆撃機撃墜のおよそ8割はハリケーンによる戦果と考えられている。当時、ドイツ軍の護衛戦闘機をスピットファイアが足止めしている間、低速の爆撃機迎撃に専念ができたこともハリケーンには大きな戦果に繋がった。

ここに展示されているハリケーンMk.Xllは、英国空軍に従軍したカナダ人で、第二次世界大戦の最初の18ヶ月間で最も優れた戦闘機パイロットであったウィリアム・リッドストーン「ウィリー」・マクナイト飛行士を称えた塗装で復元されている。1940年12月から1941年1月にかけて、英国空軍の242(オール・カナディアン)飛行隊のマクナイトが、バトル・オブ・ブリテン直後のコルティシャル基地とマートルシャム・ヒース基地で運用した際に、このグロスター製のハリケーンI、P2961で使用したカラーとマーキングで知られている機体である。

アルバータ州出身のマクナイトは、第二次世界大戦開戦前に空軍に入隊し、ダンケルクやバトル・オブ・ブリテンの戦いに参加。彼は1941年1月に英仏海峡上空で敵の交戦に巻き込まれ、行方不明となり、帰らぬ人となった。アルバータ州カルガリーのマクナイト大通りは、彼の名誉を称えるために名づけられ、現在も多くの国民から敬愛されている。

(訂正とお詫び)

航空情報2月号(12月21日発行)記載のハリケーンの写真キャプションに記載間違いがあり謹んで訂正申し上げます。

ホーカー・ハリケーンMk.lV (誤)----(正)ホーカー・ハリケーンMk.Xll(CF-TPM/LE-A/RCAF5447)


グッドイヤー製 ヴォートFG-1D コルセア

戦闘機、戦闘爆撃機、そして攻撃機として1942年12月28日から運用が開始されたF4U コルセアは米国のチャンス・ヴォート社が開発したレシプロ単発単座の艦上機であったが、太平洋戦争激化による大量生産の需要が生まれ、グッドイヤー社との追加製造契約が結ばれ、「FG」という制式名称が与えられた。2,000馬力級エンジンを搭載することになったコルセアは、これまでに見たこともないほどの巨大なプロペラをつけた最も重い艦上機となった。地上で直径13フィート(3.9m)以上ある大型のプロペラを回す場合、地面に当たらないように主脚を長くする必要があるが、前方の視界が悪化する等の欠点があり艦載機には向かない設計であったが、翼型に逆ガル翼が採用されたことにより主脚は短く頑丈な構造となった。その反面主脚の硬い緩衝装置は機体を飛び上がらせ、ロータイプテールギアと巨大なフラップは方向安定性の問題を起こした。また着陸の際に減速中に突然失速し転覆したりなどする事故も発生したことからF4Uは空母で運用するには不適とされ、初期生産型のほとんどは海兵隊に引き渡され、地上からの離発着を基本とした対地攻撃機として運用された。この博物館に保管されている機体は、カナダ海軍パイロットロバート・ハンプトン "ハミー "グレイ海軍中尉の活躍を讃えたカラーとマーキングが施されている。グレイ海中尉は、ノルウェーでのドイツ海軍戦艦ティルピッツへの攻撃や、南太平洋での長期にわたる作戦で、高い能力を持つパイロットとして、またリーダーとしてその手腕を発揮。太平洋戦争末期の1945年8月9日には、宮城県女川湾を空襲した英空母フォーミダブル搭載の愛機に搭乗し出撃。日本海軍の海防艦天草への強襲爆撃を敢行した際に被弾し墜落した。戦後、戦死したグレイ大尉(享年27歳)はカナダ人で最後にヴィクトリア十字章を授与されたパイロットであり、また連合国軍の軍人としては女川町に慰霊碑が建立されている唯一のパイロットである。2022年8月25日には、駐日カナダ大使のイアン・マッケイ氏や駐日カナダ国防軍武官のロバート・ワット海軍大佐が同席し追悼式が行われている。


インタビューと撮影を含め2時間位で終了する予定が4時間という長い取材となってしまった。その理由は、ブルネット氏の各機体の解説の旨さ以上に、「人間的側面」から歴史を伝えることに重きを置いている点であり、カナダ人パイロットに焦点を当て復元された航空機の展示が印象深い。そしてこの博物館のオーナーであるポッター氏は大戦中に製造された航空機を「航空遺産」として位置づけ、コレクションした機体を修復、展示し、実際に飛行させる。一般的にはその価値を理解していただくことは簡単ではないが、その時代の歴史を風化させないで後世に残すことに引き続き尽力していきたいとブルネット氏は誇らしげに語ってくれた。



訪問のための一般情報


Vintage Wings of Canada

住所:1699 Rue Arthur Fecteau Street     Gatineau QC, Canada J8R 2Z9

連絡先:Tel: 819-669-9603 Email: info@vintagewings.ca

Webサイト:http://www.vintagewings.ca

開館について:毎週土曜日10:00−14:00

入場料:C$10 (12歳未満は入場無料)

アクセス:公共の交通機関(バス)の利用は不便であり、筆者はオタワ駅からUberを利用して約30分で到着、料金はC$42であった。

(1C$=日本円約110円/2022年10月現在)


◻️掲載誌: 月刊航空情報 2月号/2023年 せきれい社


General information for your visit


Vintage Wings of Canada

Address: 1699 Rue Arthur Fecteau Street

    Gatineau QC, Canada J8R 2Z9

Contact: tel: 819-669-9603

Email: info@vintagewings.ca

Website: http://www.vintagewings.ca

Opening hours: every Saturday 10:00-14:00

Admission: C$10 (free admission for children under 12).

Access: public transport (buses) is inconvenient; the author took an Uber from Ottawa Station, which took about 30 minutes and cost C$42.

(1C$ = approx. 110 Japanese yen / as of 2022/10)


◻️Published Magazine : Monthly Aireview February/2023/Sequirey Sha.



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