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TECHNIK MUSEUM HUGO JUNKERS DESSAU, GERMANY

380以上の技術特許取得、ドイツの起業家、ルフトハンザの生みの親、そして大のナチス嫌いとして知られる歴史的人物HUGO JUNKERS(フーゴ・ユンカース/1859年-1935年)は、ボイラーおよびラジエータ製造を手がけるユンカース&カンパニー温水器製造社の設立者であった。第一次世界大戦を通じてその技術の高さが評価され、初期の高速デイーゼルエンジンや全金属製の航空機の開発・製造を手がけた先駆者として世界的に知られている。 ザクセン州ライプチヒにほぼ近いデッサウ(DESSAW)の町に滑走路を併設した航空機工場を建設したユンカースは1923年にユンカース発動機工場有限会社を設立、航空機エンジンの開発に始まり、単発単葉機であったJ1をはじめ実に45種類の航空機の製造、2機の試作機を手がけた。今回はJu-52が開発当時の塗装で展示されていると聞き、足を運び訪問した。


世界に先駆けた航空機製造

2001年5月に開館したこの博物館は4200平米の展示面積を持ち、自然光が館内にくまなく差し込む設計となっており、基本的にストロボ撮影の必要はない。博物館の中心に展示されているJunkers Ju-52/3mg4e,型式番号は6134であり、

この機体は第二次世界大戦中の1940年にノルウエーでの作戦行動中にスエーデンと国境を接するナルヴィク沖に沈んだ機体である。ナルヴィクは当時、ドイツ軍にとって鉄鉱石採掘の重要な拠点であり、冬場は港が凍結するため物資輸送は航空機に頼っていた。海底から引き上げたJu-52は1995年の1月にこの博物館に戻り、修復された機体である。

ユンカースの機体構造は、鋼管骨格にジュラルミンのコルゲート(波形外板)を貼ったものであり、機体重量を抑えて強度を増す効果はあったが、速度を増すと空気抵抗が増えるデメリットも抱えていた。

また、離着陸距離が短いため、滑走路が短い小さな飛行場での運用も可能であり、1930年代までにはルフトハンザ社の主力旅客機として多用され、ベルリンーローマ間を結ぶ路線を中心に欧州の各路線で活躍した。

また、フランスやスペインなどで1950年代までライセンス生産され、1960年代末まで欧州の定期路線で活躍し、最終生産機数は4800機を超える名機であった。 


<インフォメーション>

TECHNIK MUSEUM

HUGO JUNKERS

DESSAU, GERMANY


所在地 :‪Kuehnauer Str. 161, 06846 Dessau, Saxony-Anhalt, Germany

電話番号 :+49 (0) 340 661 1982

開館時間 :毎日開館 10:00−17:00 11月から3月は月曜日が休館日 

入場料 :5ユーロ (2016年6月現在)

アクセス : ライプチヒ中央駅からSバーンでデッサウの中央駅まで約50分。デッサウ中央駅から徒歩で約30分(2.8km)


◽️掲載誌:月刊エアライン 2017年2月号 / イカロス出版


<Information>

TECHNIK MUSEUM

HUGO JUNKERS

DESSAU, GERMANY


Location: Kuehnauer Str. 161, 06846 Dessau, Saxony-Anhalt, Germany

Phone number: +49 (0) 340 661 1982

Opening hours: Open daily 10: 00-17: 00

Monday is a closed day from November to March

Admission: 5 euros (as of June 2016)

Access: From Leipzig Central Station to Dessau Central Station by S-Bahn

Approximately 50 minutes. About 30 minutes on foot (2.8km) from Dessau Central Station


◽️Published magazine:Monthly Airline February 2017 / Ikaros Publications Co. Ltd.

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