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Polish Army Museum, Warsaw Poland

ポーランドの首都、ワルシャワ。“北のパリ”と称され、市内にある歴史地区は1980年にユネスコの世界遺産に登録されたポーランド観光の玄関口である。

歴史的には、ポーランドは列強による「侵攻と分裂」が長い歴史の中で繰り返された影響から、様々な軍事用武器が他国より入り、また開発され使用されてきた。今月号では、ワルシャワ市内に立地するポーランド陸軍博物館を訪れる機会があり、その多くのコレクションの中から、野外に展示されているソビエト連邦(現:ロシア/以後、ソ連)の魅力的な航空機を中心に紹介していく。


2万5千点のコレクション

1920(大正9)年、当時ポーランド軍の最高司令長官であったヨーゼフ・ピルスドスキー(Józef Piłsudski)元帥の命令によって建設されたここ陸軍博物館は、歴史年代毎に展示室が分かれている。 中世からルネサンス時代、ナポレオン戦争と第一次世界大戦時代と第二次世界大戦から近代までの鎧や武器、ユニフォーム,小型装備、そして戦車から航空機まで2万5千点に及ぶコレクションが一堂に見学できる博物館である。 館内の展示室を見学するには有料であるが、戦車や航空機が並べられている屋外展示は無料で見学でき、写真撮影に関しても特に制限はないので自由に撮影が可能である。また、野外展示では意外とドイツ軍が運用した戦車や航空機は見られず、大戦後の共産主義体制の中でソ連製の航空機や戦車が多く展示されている。


ポーランドの航空機製造

第 1 次世界大戦の勃発前にまで遡るポーランド航空機産業の歴史は、航空機メーカー兼製造 工場であった Aviata の設立と関連し、ここではフランスのライセンスを受けて Farman IV が製造されていた。 第 1 次世界大戦後(1918/大正7年)にポーランドは独立を回復し、将来を担う航空機産業の土台として、Centralne Warsztaty Lotnicze(CWL-Central Aviation Workshops)が設立された。国有企業であった CWL は、 ワルシャワを拠点に、主に航空機エンジンの修理業務を行っており、10 年後の 1928 (昭和3)年に、ポーランド初の航空機製造工場である Państwowe Zaklady Lotnicze (PZL – 英語で国有航空工場(State-Owned Aircraft Plant)を意味する)が同国政府によって 設立された。1939 (昭和14)年当時、PZL はワルシャワ、ミエレツ、ジェシ ュフの 3 か所に工場を持っており、航空機産業向けに航空機、エンジンおよび部品を製造していた。 ポーランドの航空機産業においては、2 つの世界大戦の間の時期にグライダーなどのレジャー航空機分野での成功 が幾度かあったことも特徴的である。この成功は、新しい産業分野へ市民の強い関心を向けるきっかけとなったが、ポーランド航空機産業の大部分は第 2 次世界大戦中に破壊されてしまったため、戦後、大規模な投資 による再構築により、現在では再びグライダーや練習機、農業用機などの生産を中心に航空機産業を継続している。



共産主義体制下の選択

 博物館の展示されている多くのソ連製機体。同国においては1913(大正2)年当時、飛行機の組立てと製造を行える4ヶ所の工場があった。しかし、第一次世界大戦(1914年-1918年)の開戦時は、航空機の設計はソ連であったが、エンジン開発はすべてフランスで設計され、モスクワにあった組立工場で生産をしており、第一次大戦中の1917(大正6)年までには約6千機の航空機が生産された。 その後、第二次世界大戦(1939年-1945年)が勃発するまで、ソ連での国内航空機生産はゆっくりとした発展を遂げていたが、第一次世界大戦後から急速に航空需要も大きくなり、ソ連を代表する航空機製造ではツポレフ設計局(以後、ツポレフ/Tu)とイリューシン設計局(以後、イリューシン/Il)とヤコヴレフ設計局(以後、ヤコヴレフ/Yak)の3大航空機メーカーが台頭した。


ソ連3大航空機メーカー

イリューシンは1933(昭和8)年に設立し、爆撃機、戦闘機、輸送機など様々な種類の航空機を製造しソ連の航空技術の発展に大きく寄与した。初期の量産機で実用化された中型爆撃機Il-4(プロトタイプはBD-3)は双発、単葉で4名乗りで航続距離は4200kmであった。丈夫で整備性も良く、終戦までに6,800機以上が生産された。また、ドイツ軍のソ連侵攻時に活躍したIl-2は対地上攻撃機として開発され、ドイツの戦車撃退に大きく貢献した。

1922(大正11)年に創設されたツポレフは、金属製の機体にエンジンを左右に搭載したTu-2がソ連の前線爆撃機として活躍した。1942(昭和17)年に製造が開始されたTu—2は連絡機としても徴用され、運行上のトラブルや事故も少ないことから、終戦まで2,500機以上が生産され、戦後は中国にも輸出され、ライセンス生産された。戦後、ソ連にとって初の大陸間戦略爆撃機の基盤となるTu-4(米国ボーイングB-29のコピー)を開発、1947(昭和22)年に初飛行し、退役する1960(昭和35)年までに1,000機以上が生産された。

最後に戦闘機製造で名を轟かしたヤコヴレフは第二次世界大戦から朝鮮戦争まで「ヤク戦闘機」はソ連戦闘機の代名詞であった。だが、その後は政治的な理由もあり恵まれず、軍用機分野の前面からはほとんど追い出された形となった。逆に旅客機分野では大きな躍進を見せ、Yak-40Yak-42では東側随一の成功を収めている。 

広い敷地内には航空機以外に、ソ連製戦車や大砲などが整然と陳列されている。今月号では全ての航空機を紹介することはできないが、観光等でワルシャワ市内に立ち寄ることがあれば、中央駅からも徒歩でのアクセスも可能であり、是非、足を運んで訪問していただきたい。


訪問のための基本情報


Polish Army Museum (ポーランド陸軍博物館)

住所 :Aleje Jerozolimskie 3, 00-495 Warszawa

電話 :(022)6295271


開館時間 :10:00-16:00

定休日 ;月曜と火曜   **野外展示には休館日はない

入場料 :大人20ズヴオチ 子供:15ズヴオチ  **屋内展示のみ有料

      土曜日は無料、            ** 1ズヴオチ=約30円(2020年10月)


◽️掲載誌:月刊航空情報 2021年2月号 / せきれい社


Basic information for a visit


Polish Army Museum

Address: Aleje Jerozolimskie 3, 00-495 Warszawa

Phone: (022) 6295271


Opening hours: 10: 00-16: 00

Regular holidays; Mondays and Tuesdays ** There are no closed days for outdoor exhibitions

Admission: Adults 20 Zuvoochi Children: 15 Zuvoochi ** Paid only for indoor exhibitions

Free on Saturdays, ** 1 Zuvoochi = about 30 yen (October 2020)


◽️ Published Magazine: Monthly Aireview February 2021 / Sequireysha Ltd.

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