top of page

Museo Nazionale della Scienza e della Tecnica Leonardo da Vinci Milano, Italy

天才「レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年−1519年)」に関する膨大な資料が展示され、イタリアにおける科学的思考の発達と工業技術の発展を紹介するために1953年に開館したレオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館は、11世紀から16世紀にかけて修道院として使われていた建物を改築して一般に公開している。今月号では、同館に展示されているイタリアが産んだ希少な航空機を中心に紹介する。


万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチの生誕500年を記念して開館したこの博物館は、ダ・ヴィンチ記念館、鉄道館、空と海の交通館と3つの展示区分で構成されている。この博物館の見所は記念館の2階にあるレオナルド・ダ・ヴィンチ・ギャラリーだ。ダ・ヴィンチが描いたスケッチを模型にした130点に及ぶ展示は圧巻であり、

彼は芸術、医学、建築学、その他自然分野の多岐にわたり偉大なる業績を数多く残し、それらの発見、発明は我々の現代文明の礎になっているものも少なくない。 「空を飛びたい」という人類の根源的な欲求を、ダ・ヴィンチは様々な方法で試行錯誤し、1505年当時彼は鳥類の飛翔を徹底的に観察し、同時に鳥類の骨格、筋肉など解剖学的特徴を徹底的に調べあげている。彼が残した「鳥の飛翔に関する手稿」ではハングライダーやヘリコプターに繋がる飛行器具の概念図が残されている。また、関節を持った翼を羽ばたかせて揚力と推進力が同時に得られれば、鳥の様に自由に「空を飛べる」という結論を導き出していることに工学技術者としても評価されていたことが理解できる。

我々航空に携わる者として、一度は目にするFlying Machine(はばたき機)とAir Screw(ヘリコプター)は、ダ・ヴィンチの残した偉大な業績の一部として貴重な資料となっている。

Flying Machine(はばたき機)はメカニズムが複雑になり推定重量が400kgを超えるため、人力で翼を羽ばたかせての飛行は不可能だったと言われているが、

Air Screw(ヘリコプター)のアイデアは、螺旋状の羽を高速回転させ空気を押し下げれば“空を飛べる”という発想を基にしたものであった。日本の方にとっては「レオナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプター」に翼章を施した「全日空(現:ANA)」がロゴマークとして採用されていた事は、ダ・ヴィンチを身時に感じる馴染み深いものであった。また、1986年にはヘリコプター利用促進PRのためにダ・ヴィンチの誕生日4月15日を「ヘリコプターの日」と制定されたことなど、彼の残した偉業はここ日本でも受け継がれている。


イタリアの航空黎明期

ダ・ヴィンチの構想から約400年が経過したイタリアでは、飛行船の開発が盛んであった。当時の飛行船開発はアルメリーコ・ダ・スキーオ伯爵(1836年-1930年)が1900 年、ドイツのツェッペリン型硬式飛行船の情報を入手すると、彼は自らの飛行船の実現も可能であると判断し、イタリアにおける飛行船の製造のパイオニアとなり、1905 年以降に軍人や民間人においてその開発は進められていく。

しかし、1903 年の12 月17 日にライト兄弟による木製の骨組に羽布張りという軽量構造な「ライトフライヤー号」による飛行を成功させたニュースはイタリアにも届き、イタリアでは「飛行機」の研究に着手する技術者も現れたが、イタリアで動力による「飛行機」を認知するのは、フランスにおいて欧州の航空のパイオニアであるサントス・デュモン(1873年−1932年)がライト兄弟に遅れること3年が経過した1906年10月23日にエンテ型(*)の動力機「14-bis」号以降といわれている。

<(*)主翼の前方に前翼(カナード)を持つ固定翼機の設計であり、主翼を重心より後方に配置し、さらに後方の水平尾翼が下向きの揚力を生んでバランスを取る

ことに適していた設計。>

イタリアの飛行機パイオニアとなったのは、海軍軍人マリオ・カルデラーラ(1879年-1944年)や民間技術者のマリオ・コビアンキ(1881年-1944年)といった人物であった。彼らは当時のフランスで製造され、実際に空を飛んでいた様々な飛行機の構造を学んでいた。イタリア海軍出身のカルデラーラが飛行機開発で成功した理由は、1909年4月にローマのチェントチェッレに招聘されたライト兄弟の兄ウイルバー・ライトから直接ライトフライヤー号の操縦を学ぶことができたこと。そして彼が米仏の技術者と積極的に交流し、当時最先端と言われた航空技術の研究を具現化させた事によるものが大きかった。加えて同年9月にイタリア初の飛行士免許制度における「操縦士第一号」を取得したこともプラスに働いた要因であった。

1910年1月にはブラッチャーノ湖畔のヴィーニャ・デイ・ヴァツレ(現在のイタリア空軍歴史博物館)に操縦士養成学校が設立され、多くのイタリア軍人が操縦資格を取得する土壌はできたが、当時、航空機先進国であったフランスの飛行学校で操縦し免許を取得し、イタリアに帰国後に改めてイタリアでも操縦し免許の交付を受ける軍人も多く出現した。


イタリア“大飛行時代” 日本への親善飛行

航空機の存在価値を大きくした第一次世界大戦は1919年に終了し、大戦を通して発達した航空機が、兵器としてではなく「交通手段」として利用範囲の可能性を無限に広げる時代となった。フランスをはじめ航空先進国は国力を世界に誇示する意図も含めて、冒険飛行や記録飛行を競い始め、「大飛行時代」をイタリアでも迎えることになる。

第一次世界大戦終戦後に戦闘機乗りとして参戦したイタリアの詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオ(1863年-1938年)が極東日本まで飛行する計画を新聞で発表する。当時、イタリアの国立東洋学院(現在のナポリ東洋大学)で日本語教授をしていた下位春吉(1883年−1954年)は、ダンヌンツィオに会い、日本の航空界の現状を説明している。当時の世相では、日本は極東の「未知なる国」として欧州からは魅力的な国として紹介されていたこともあり、下位は「もしイタリアから日本に親善飛行をしてくれたなら日本の航空界にとっても良い刺激にもなるし、イタリアの国威を示す良い機会になるのでは」と説得したのである。 ダンヌンツィオの飛行計画に基づき、1920年1月8日から3月11日にかけて、各機がローマを出発。イタリア空軍は単発複葉機アンサルドSVA-9(スヴァ)11機と多発複葉機カプロニ機4機(Ca.33、Ca.44それぞれ2機)の航空隊を編成。5月30日に朝鮮海峡を横断、大阪の城東練兵場に着陸。翌5月31日、日本で最初の飛行(1910年12月14)が行われた代々木練兵場に遥か遠いローマから途中で脱落した機体もあり最終的にフェラリン、マシェロ両中尉の操縦するSVA-9の2機が着陸。海外からの最初の訪日機、そして世界初の欧亜連絡機であった。

着陸した2機の内1機はイタリア大使館から日本陸軍に寄贈され、九段の遊就館に長期間にわたり保管展示されていたが、後に日本飛行学校の教材として払い下げられ、第二次大戦の敗戦の混乱とともに行方がわからなくなった。

1970年に開催された大阪万博のイタリア館内にはアリタリア航空が歴史的偉業を遂げた航空機としてレプリカを作成。万博終了後に日本へ寄贈され、その機体が現在、航空自衛隊浜松広報館で展示されている。


大戦を通じて乱立したイタリア航空産業

航空産業は、軍事・民間を問わず国家の果たす役割が大きい産業分野であるが、1920年から30年当時、フランス、ドイツ、英国など航空先進国と言われた国では、小規模な航空機製造会社が乱立し、新型機の制作部分では優位性を保ったものの、量産体制では当時の米国とは比較にならなかった。イタリアでも2回の大戦を通じ大小様々な航空機企業が乱立しており、これは戦時体制時には航空機生産の非効率化を生むという大きなマイナス面を露呈させた。当時から工業生産力が低かったイタリアにとって、多数の企業が多種多様な航空機を開発・量産するという事態は、部品の調達や品質の面でも問題が多く、全体の生産機数は低かった。

第二次世界大戦終了までに航空機を生産した企業は11社にのぼり、当博物館に展示されているカプロニ社、アエルマッキ社、フィアット社、ブレダ社そしてSAIアンブロジーニ社など歴史に残る代表的な航空機を写真で紹介しているので訪問時の参考にして頂きたい。


ミラノの旧市街に位置しミラノ中央駅からの交通アクセスも良く、科学技術の発展やダ・ヴィンチの生涯、当時の社会情勢を知るには興味深い博物館である。


訪問のための一般情報:

Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia Leonardo da Vinci

(レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館)


住所:Via San Vittore, 21, 20123 ミラノ

連絡先:+39 02 485551

Webサイト:https://www.museoscienza.org/

開館時間:(夏)火曜日~金曜日 10:00 - 18:00 土日祝日 10:00 - 19:00       (冬)火曜日~金曜日  9:30 - 17:00 土日祝日  9:30 - 18:30

休館日:月曜日(ただし祝日なら開館) 1月1日、12月24-25日

入場料:大人 €10.- 子供/65歳以上 €7.5.-

アクセス:ドゥオモ広場から西へ徒歩25分 地下鉄M2(緑色)のサンタンブロージョ駅(Sant'Ambrogio)から徒歩5分


⬜️ 掲載誌:月刊航空情報 2023年3月号/せきれい社


General information for visits:.

Museo Nazionale della Scienza e della Tecnologia Leonardo da Vinci

(National Museum of Science and Technology in honour of Leonardo da Vinci)


Address: Via San Vittore, 21, 20123 Milan

Contact: +39 02 485551

Website: https://www.museoscienza.org/

Opening hours: (Summer) Tuesday to Friday 10:00 - 18:00, Saturdays, Sundays and public holidays 10:00 - 19:00

      (Winter) Tues-Fri 9:30am - 5pm, Sat, Sun & public holidays 9:30am - 6:30pm.


Closed: Mondays (open if Monday is a public holiday) 1 Jan, 24-25 Dec.

Admission: adults €10.- children/over 65 €7.5.-.

Access: 25 minutes' walk west from Piazza Duomo.

5-minute walk from Sant'Ambrogio metro station (M2 green).


⬜️ Publication: Monthly Aireview, March 2023/ Sequrey-sha, Ltd.



Follow Us
  • Facebook Classic
  • Twitter Classic
  • Google Classic
Selling My Pictures
bottom of page