Luftfahrtmuseum-Finowfurt, Schorfheide Germany
現在のドイツ連邦共和国が東西に分断されていた冷戦時代に東ドイツ(ドイツ民主共和国/GDR)領内に存在したソビエト社会主義共和国連邦(現ロシア/以降ソ連)の空軍基地がここフィノウフルト(Finowfrut)に展開していた。1989年、ベルリンの壁崩壊に始まり、1990年10月3日に東西ドイツが統一されると、当時MiG-25を配備していたソ連空軍は1993年5月には同基地から撤退。ソ連軍が建設した独特な建築物の情景を「歴史遺産」として残すべく、飛行場の北西部跡地は航空博物館として生まれ変わった。現在では映画ロケ地として、また文化的なイベント会場としても活用されている。今月号では、冷戦当時のシェルターを利用した独特の雰囲気を作り出すドイツ国内でも珍しい航空博物館を紹介する。
旧共産圏の航空機遺産を残す
この飛行場は、1937年にナチス政権が来るべき第二次世界大戦に備えて建設され、戦時中は飛行場としてだけでなく、捕獲した連合軍機をドイツ空軍の研究機として性能試験場として、また一方では墜落した機体から使える部品を回収して再利用するための再生作業場として使用されていた。
第二次世界大戦後の冷戦時代(1947-1989年)には、社会主義化を推進する東ドイツ(GDR)領土内では、敗戦により分断された東西ドイツの戦略的見地から東ドイツ軍とソ連軍が共存し、それぞれ陸海空軍を管理していた。その結果、今日でも旧東ドイツ側領地であった地域には空軍基地、空港(その多くは廃墟か太陽光発電所に転用)や戦車訓練所跡が多く残っている。
ソ連体制の急速な崩壊と冷戦の終結により、投入されたソ連製の兵器は90年代半ばに膨大な量の軍用余剰品が発生した。時を同じくして東ドイツの人民空軍は、統一後に西ドイツ空軍と統合され、東ドイツ軍の主力機であった旧式なソ連機のほとんどは軍籍から外され、その多くが放置されるか個人蔵となった。
そのため、欧州各地の航空博物館には、旧東ドイツ軍の航空機が展示されていることが多い。当博物館では、この跡地を「地域振興」に役立てようと地元企業や地方政府が共同で当時の航空機を保管。多くのボランティアによる活動を主体とした非営利団体の航空博物館を1992年に設立し、展示エリアの再整備に始まり、航空機の収集と整備・機体の復元を推進し、今日に至っている。
ソ連時代の防空基地としての役割
フィノウフルト(Finowfrut)飛行場は、終戦の1945年以降、ソ連が空軍基地として使用し、部隊配備の初期段階では、ヤコブレフ設計局が開発したレシプロ戦闘機Yak-9 と 連合国が1941年から1945年までの期間、ソ連へ「レンドリース法(武器貸与)」により供与したカーチスP-40が配備された。 40年代後半に入るとターボジェットエンジンを搭載したYak-17、50年代初期には後退翼を備えた戦闘機ミコヤンMiG-15が45機におよぶ大規模な配備が始まった。さらに1956 年から 1969 年にかけては第 207 戦線爆撃連隊 (207.fbap) の イリューシンIl-28 と Yak-28 が駐留し、1970 年からはソ連空軍の第 787 戦闘機連隊 (787.iap) の MiG-21が長期(1970-1976年)にわたり駐留している。同戦闘機連隊では1976 年以降、可変後退翼を装備した前線戦闘機 MiG-23M と 複座型の転換練習機MiG-23UB の配備が進められた。80年代に入ると米国はロッキードSR-71 (USAF 9th SRW)戦略偵察機を英国ミルデンホール基地に配備したことにより東西間の緊張は一時的に高まり、国土防衛のために開発された迎撃戦闘機MiG-25PDが1982年から同基地に配備が始まり、SR-71の迎撃を目的とする任務で展開した。しかし、その後は東西間の緊張も一時的に緩和され、SR-71 は英国を去り、MiG-25PD は 1989 年 8 月には本国へ帰還している。
この時代、社会主義体制のハンガリーで民主化運動が強まり、それまで同国のサルメレックに駐留するソ連第 5 親衛戦闘航空連隊のMiG-29制空戦闘機18機がここフィノウフルト(Finowfrut)基地に再配備されたが、急速に進む旧社会主義国の民主化運動や冷戦緩和に伴いMiG-29の運用は緊迫した中での作戦行動は少なく、配備から4年後の1993 年 5 月 11 日には最後のソ連空軍部隊として同基地を離れ、同時期には地元政府の指導で「Flugplatz Finow GmbH」(フィノウ空港公団会社)が設立され、現在は民間空港として運用されている。
冷戦時代のソ連製航空機
思い起こせば冷戦時代の1976年(筆者高校生)9月6日にソ連のベレンコ将校が亡命目的で函館空港にMiG-25Pが強行着陸したのを思い出す。連日テレビ中継がされ、航空雑誌の写真以外で見る初めてのソ連機であったこともあり、テレビのニュースや新聞報道を貪りつくように眺めたのを思い起こす。現在では欧州を中心に比較的容易に航空博物館等で多機種に渡るソ連機を見学することができる。では、当時ベールに包まれたソ連機の代表格でもあり、当博物館に展示されている冷戦時代の代表的な航空機の一部を紹介しておきたい。
ミコヤン・グレヴィッチ(Mikoyan-Gurevich) MiG-15
第二次世界大戦後の1947年12月30日に初飛行に成功し、1949年より運用が開始された遠心圧縮式ターボジェットエンジンを搭載した戦闘機。ドイツの敗戦により当時ドイツ国内から多くの航空技術やロケットデータ、さらには開発技術者を活用することにより、それまで独自に開発していたジェット戦闘機よりも高性能な機体を開発できるようになった第一世代ジェット戦闘機の東側(共産圏)の代表格となる。MiG-15はソ連以外の国でも生産され、チェコスロバキア製のS-102(MiG-15相当)、S-103(MiG-15bis相当)やポーランド製のLim-1(MiG-15相当)、Lim-2(MiG-15bis相当)などが生産された。MiG-15は世界40カ国以上で運用され15,000機以上が生産されている。
尚、中国ではソ連から数百機のMiG-15が供与されJ-2(殲撃二型)と命名したが国内でのライセンス生産には至ってはい。
ミコヤン・グレヴィッチ(Mikoyan-Gurevich) MiG-17
MiG-15の改良型として1950年1月に登場したMiG-17は、MiG-15において35度であった主翼(内翼)の後退角を45度に改め(前縁途中で主翼(外翼)の後退角が42度に変わっている)、武装については、37mm機関砲と23mm機関砲の2門を備え、基本的にはMiG-15を運用した国が、MiG-17を運用し、10,000機以上が生産された。尚、共通の特徴的な機種形状をしているMiG-15との識別をする上では、主翼上の境界層板(ダイバータ)の数も片側2枚から3枚へと変更されている。
ミコヤン・グレヴィッチ(Mikoyan-Gurevich) MiG-23
MiG-21の後継機として1967年4月3日に初飛行した前戦・迎撃戦闘機としてソ連空軍の主力戦闘機としてMiG-23Mが配備され、その後ワルシャワ条約機構向けの輸出型MiG-23MF型や、ソ連防空軍向けのMiG-23P型などが生産されている。旧東欧諸国であるブルガリア、ルーマニは、ポーランドそしてチェコスロバキアをはじめ、アルジェリア、インドなど非同盟国であったアジア、アフリカ諸国にも輸出されている。
スホーイ(Sukhoi) Su-17
Su-17とMiG-23は同世代に開発に着手された戦闘機であり、Su-17は1969年7月1日2月飛行した可変翼が特徴であり、その運動性や耐久性から戦闘爆撃機や前戦偵察機として運用された。しかし、MiG-23は新型機として開発されたがSu-17は1955年の開発されたSu-7を踏襲する古い設計が基本となり、1990年までにソ連国内向けに1,095機、輸出向けに1,866機が生産され、新型コロナ発生前の2019年の欧州で開催される航空ショーではポーランド空軍が現役として飛行をしているのを確認している。長期にわたり運用された大きな理由は、一度に搭載できる兵器の数がMiG-23/27より多かったこと、Su-7以来の航空機としての信頼性の高さや部品の調達など整備性に長けていたことなどもSu-17シリーズが長期に亙って大量に生産・配備されたといわれている。
尚、同博物館にはSu-17の輸出向けの派生型であるSu-22が展示されている。
イリューシン(Ilyushin) Il-14
第二次世界大戦後、ソ連は米国製輸送(C-47)/旅客機(DC-3)に対抗すべくレシプロ双発のIl-12を1947年に初飛行させている。乗客数は19-22名であり、当時はソ連国内線をはじめポーランド航空やチェコ航空などにも採用され運用された。しかし、航空需要も急激に大きくなり、座席数を32席としたIl-14が1,000機以上生産され、ソ連国内を始め中国、チェコスロバキア、キューバ、ブルガリア、北朝鮮などの航空会社も採用し、チェコスロバキア(アヴィアAv-14)と東ドイツ(Il-14P)ではライセンス生産されていた。軍用機(Il-14G)としてアフガニスタン、アルバニア、エジプトやインドなど16カ国以上で運用されていた。
訪問を終えて
フィノウフルト航空博物館は、ベルリンの北40kmに位置し、現在は軽飛行機用の民間飛行場として使用されているエーベルスヴァルデ・フィノウ飛行場(Flugplatz Eberswalde Finow)の施設と隣接。ベルリン中央駅から列車を利用すれば1時前後でアクセスが可能であることは旅行者にとっても手軽に訪問できる航空博物館である。
約23ヘクタール(東京ドーム1/2の広さ)の元ソ連空軍飛行場跡地には29機の航空機、ロケットやエンジンなどが展示され、開設以来120万人が当館を訪問している。ここはボランティアの愛好家が限られた資金で運用されている航空博物館でもあり、展示物の華やかさはなく、観光化されていない部分も含め「旧共産圏時代」の文化に浸っているような不思議な感覚を味わうことができる。 また3年後の2026年までには、ドイツの航空史専門図書館や修復・修理のためのワークショップも併設される予定であり、次世代に継承する新しい事業にも着手し、暫くは注目していきたい航空博物でもある。
訪問のための一般情報
Luftfahrtmuseum-Finowfurt
所在地:Museumsstraße 1, 16244 Schorfheide, Germany
開館日:4 月から 10 月は 毎日午前 10 時から午後 5 時まで、 (最終入場は午後 4 時 15 分) 11 月から 3 月までは基本的に閉館しているが、電話にて登録後エントリーして入館も可能。 入館料:大人: 7.00 ユーロ/子供 (6 歳から 13 歳まで): 3.00 ユーロ アクセス:レンタカーでベルリン市内から約60分(50km)、列車を利用するとベルリン中央駅からICE(40分)でEberswalde Hauptbahnhof下車、一般バス(20分)にてFinowfurut Post下車、徒歩約20分
⬜️掲載誌:月刊航空情報5月号/2023年 せきれい社
General information for visits
Luftfahrtmuseum-Finowfurt
Location: Museumsstraße 1, 16244 Schorfheide, Germany
Tel: +49 3335 7233
Opening days: daily from April to October from 10.00 am to 5.00 pm (last admission at 4.15 pm).
(last admission at 4.15pm).
The museum is generally closed from November to March, but entry is possible after registration by phone.
Admission: adults: €7.00/children (6-13 years): €3.00.
Access: by rental car: approx. 60 mins (50 km) from Berlin city centre; by train: ICE from Berlin Hauptbahnhof (40 mins) to Eberswalde Hauptbahnhof, public bus (20 mins) to Finowfurut Post, 20-minute walk.
⬜️ Published in: Monthly Aireview May / 2023 by Sequirey-sha Co., Ltd
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