Fokker Legacy, Schiphol The Netherlands
スキポール空港周辺に残るFokkerのレガシーを探訪する
スキポール空港周辺にはフォッカー(Fokker)にまつわるポイントが点在している。
かつて日本の空もフォッカー製の航空機が見られた時代もあり、「Fokker」と聞いて懐かしく思われた読者も多いのではないかと思う。 オランダの表玄関、スキポール空港(Schiphol)周辺には、空港ターミナル前から出発する空港循環バスを利用して、日頃紹介されないフォッカーのレガシー(遺産)ポインを探訪することができる。
日本はFokkerの最多保有国であった
1928年(昭和3年)日本は朝鮮半島と大陸へ航空路線確保のため「日本航空輸送株式会社」を設立。その当時、国内輸送機として欧米で活躍していた単発旅客機フォッカー“スーパー・ユニバーサル”**(Super Universal)6機が輸入された。
(**この6機はオランダ・フォッカー社製のものではなく、アメリカのフォード社の機体であったそうだ)
翌1929年(昭和4年)には大陸間の輸送の増大に備えるため、長距離 洋上での安全性を高めた3発エンジンを搭載したFokker F.VII(F-7B/3M)が10機が輸入され、東京-福岡、福岡-大連(中国)線に投入された。 このFokker F.VII(F-7B/3M)は、ダグラスDC-2や中島AT-2の登場する1938年(昭和13年)頃まで長距離の主力機として日本の空で活躍した。
第二次世界大戦終了後の50年代にはDC-3の後継機として、ターボ プロップエンジン、与圧キャビンを持ったフォッカーF27フレンドシップ(Fokker F27 Friendship)が1955年(昭和30年)11月24日にデビューし、日本の国内では急増する航空需要に対応するため全日空が1961年(昭和36年)からフォッカーF27を25機採用、日本各地ローカル線に加え同社初の国際定期便となる鹿児島-那覇線(当時の沖縄はアメリカの統治下)で活躍した。 しかし、当時全日空が保有していた25機のフォッカーF27は全世界で最多保有航空会社であったことはあまり知られていない。
生産機数586機のベストセラー機フォッカーF−27の技術は後のフォッカーF50に受け継がれ、日本では中日本航空/中日本エアラインサービス(後のANAグループ)が名古屋小牧空港を拠点として1991年に4機のフォッカーF50が導入され、米子・徳島・新潟など地域を結ぶ輸送に貢献し2009年2月28日(*天候不良のより実際は3月1日)に引退したことは、読者の皆様の中でも記憶されている方が多いと思う。
オランダ人のFokker への想い
「世界は神が創ったがオランダはオランダ人が創った」と有名な言葉がある通りオランダ人の「自国産」に対する愛着は人一倍であり、Fokkerという航空機に対してもその情熱は並々ならぬものを感じる。 フォッカー社が戦後製作した民間機F27、F28、F50、F70、F100など退役した機体は、一度アイントホーヘン空港の格納庫で整備され、空港ロジステイックエリアのエントランスに展示されたり、空港内の施設で一般公開しながらその「遺伝子」を絶やさないよう積極的に「場」の創出をしている。
また、スキポール空港メンテナンスエリアにはFokker社設立(1919年)の立役者であるアントニー・フォッカー(Anthony Fokker)の名前が付いたKLM専用のハンガーも存在する。
フォッカー(Fokker)社は1996年に倒産したが、オランダ人の心の中には自国産航空機開発の父として「Fokker」に対する尊敬の念が今なお脈々と生き続けている。
オランダでみられるFokkerプロダクト
a. レリースタッド(Lelystad)航空博物館(アヴィオドローム)に展示されているフォッカーF50/PH-OSI
b. レリースタッド(Lelystad)航空博物館(アヴィオドローム)に展示されているフォッカーF27/PH-FHF
c. オランダ交通博物館(Nederland Transport Museum)に展示されている
Fokker F.VIl/PH-AEZ **日本にも輸入された機体と同型機
d. 国立軍事博物館(National Militair Museum)に展示されている Fokker D.Vll/266
e. 国立軍事博物館(National Militair Museum)に展示されている Fokker S-14/L-11
f. 国立軍事博物館(National Militair Museum)に展示されている Fokker G.1A/330
◽️掲載誌:月刊航空情報 2020年8月号 / せきれい社
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