Explore the legacy of Fokker, Schiphol The Netherlands

スキポール空港周辺に残るFokkerのレガシーを探訪する


本誌12月号でも掲載されたKLMのFokker70は10月28日が最終フライトとなり全機が引退しました。 これによりKLMオランダ航空のFokker社製の航空機は全て退役したことになります。 かつて日本の空もファッカーの航空機が見られた時代もあり、懐かしく思われた読者も多かったのではないかと思います。 ここオランダの表玄関であるスキポール空港(Schiphol)周辺には、空港から出発する一般バスを利用して訪問できるフォッカーのレガシー(遺産)ポインが点在しており、今月号では日本との関係も織り交ぜ写真で紹介したいと思います。


日本はFokkerの最多保有国であった

1928年(昭和3年)日本は朝鮮半島と大陸へ航空路線確保のため「日本航空輸送株式会社」を設立し、国内輸送機として欧米で活躍していた単発旅客機フォッカー“スーパー・ユニバーサル”(Super Universal)6機を輸入しました。 また、大陸間の輸送の増大に備えるため長距離、洋上での安全性を高めた3発エンジンを搭載したFokker F.VII(F-7B/3M)が10機輸入され、東京-福岡、福岡-大連(中国)線に投入されました。 この機体は、ダグラスDC-2や中島AT-2の登場する1938年(昭和13年)頃まで長距離の主力機として日本の空で活躍した歴史をもっています。

1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終了後の50年代には世界のベストセラー機であったDC-3の後継機として、与圧キャビンを持ったフォッカーF27フレンドシップ(Fokker F27 Friendship)が1955年11月24日にデビューし、日本の国内では全日空が急増する航空需要に対応するため1961年からF27を25機採用し、日本各地ローカル線に加え同社初の国際定期便となる鹿児島-那覇線(当時の沖縄はアメリカの統治下)で活躍しました。 しかし、当時全日空が保有していた25機のF27は全世界で最多保有であったことはあまり知られていません。 生産機数786機のベストセラー機F−27の技術は後の「フォッカー50(F50)」に受け継がれていき、日本では1991年に中日本航空/中日本エアラインサービス(後、ANAグループへ)が名古屋小牧空港を拠点として4機のF50が導入されたことは,読者の皆様の中でも記憶されている方が多いと思います。


Fokker への想い

「世界は神が創ったがオランダはオランダ人が創った」と有名な言葉がある通りオランダ人の「自国産」に対する愛着は人一倍であり、Fokkerという航空機に対してもその情熱は並々ならぬものがあります。 フォッカー社が製作した民間機F28、F50、F100など退役した機体は、アイントホーヘン空港の格納庫で整備され、空港ロジステイックエリアのエントランスに展示されたり、空港の展望デッキの施設で一般公開したりし積極的に活躍の場を創出しています。

また、Fokker社設立(1919年)の立役者であるアントニー・フォッカーの名前がKLMハンガーに記載され、Google Mapで検索するとオランダ全土で彼の名前のついた道路を複数見つけることができることもここオランダの特徴です。

 年に数回開催されるSpotters Trade DayなどでもFokkerの珍しいスライド写真やダイキャストモデルなどが並び、多くのFokkerマニアで賑わいます。フォッカー社は1996年に倒産しましたが、オランダ人の心の中には自国産航空機開発と長年にわたりヨーロッパやアメリカ、アジアで活躍してきた「Fokker」に対する尊敬の念が彼らの中に脈々と生き続けております。


◽️掲載誌:月刊エアライン 2018年3月号 / イカロス出版



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