Dutch Dakota Association DC-3/PH-PBA Last Flight, The Netherlands
DDAクラシックエアラインズのDC-3
40年間オランダでの定期運航を終える
2024年10月16日、オランダ、スキポール空港に構えるDDAクラシックエアラインズ(以降DDA)のDC-3(登録番号:PH-PBA)プリンセス・アマリ号が、アムステルダムのスキポール空港で乗客を乗せての最後の遊覧飛行を実施。これによりオランダでの40年にわたるクラシック旅客機の定期運航が終了し、惜しまれながらも一つの時代の終わりを迎えた。
**DDA: Dutch Dakota Airlines
2024年2月12日、DDAが会員サポーターならびにマスコミに宛てたメールが届き、DC-3/PH-PBAの退役が避けられなくなったことが明らかになった。2020年に流行したコロナのパンデミック以降、人の移動にも行動制限が設けられ、2年間に渡り乗客が減少したことが大きな要因であったことは、メールを受け取った側にも容易に察しがついた。
2023年以降の乗客数については、運営ボランティアの努力もありほぼパンデミック以前に戻ったものの、部品調達費用、格納庫管理費用、着陸料、保険料などの固定支出の増加により、関係機関からの長期的な財政支援が確保できないという新たな問題が明らかになった。財政支援が滞ることはDDAのようなボランティア団体にとっては法外な出費を賄わなくてはならない。
DDA理事会は、長年維持費のサポートしてきた企業に対しての追加支援依頼や、新規にサポートしてくれる企業の打診に奔走したが、燃料費の高騰と整備ボランティアを見つけることの困難さなど多岐にわたるネガテイブ要因が噴出し、2024 年4月上旬にはDC-3プリンセス・アマリ号の退役が決定した。
時を同じくしてネットニュースや欧州の航空ニュース紙面ではDDA DC-3の解体説が報道されたが、ラストフライトから3日後の10月19日に最後のDDA理事会が開催され、この機体が解体されず、他国へも転売される事なくオランダに残ることが明らかになった。
オランダ・レリスタッド空港にあるアヴィオドロム航空博物館 (Luchutvaart-Themapark Aviodrome) がこのDC-3/PH-PBAを維持・保管することを発表したのである。
同航空博物館では過去においてDDAが1986年に購入したDC-3(PH-DDZ)や1988年に購入したDC-2/PH-AJU などもこの航空博物館の整備ハンガーで保管されており、DC-3の整備と維持にかけては長年の経験を持っており、このニュースはDDA会員サポーターならびにスポンサーにも歓迎された。
今後、航空博物館側としてはDC-3/PH-PBAの保存および運営面では、DDAのボランティアのサポートを継続して受けることは間違いなく、そのボランティア全員が”プリンセス・アマリア号”の飛行を継続させることを熱望している。
11月4日には博物館側からもPH-PBA“プリンセス・アマリア号”については2025年以降、DDA会員サポーターとスポンサーを中心に限定的な規模で飛行させる予定であることが発表されている。
解体報道から一転、保管そして限定的ではあるが継続した飛行が約束されたことは、DDAの会員サポーターを含め世界中のクラシック航空機の愛好家から賞賛のコメントと寄付が寄せられている。
筆者としても2025年以降、チューリップが咲く時期もしくは新緑が美しい6月頃にでもアヴィオドロム航空博物館を訪問し、PH-PBA”プリンセス・アマリア号”の新たな活動経過についてもお伝えしていきたいと思っている。
Douglas DC-3 Dakota PH-PBA “Princess Amalia”
1944年 米国ロングビーチ工場にてC-47として製造、当時の登録番号は19434であった。
第二次世界大戦中は米陸軍航空隊にてノルマンディー上陸作戦にも参加。大戦後1945年11月には基地に放置されていた同機をオランダ政府が購入、1946年にオランダ王室専用機に改修(DC-3)され、1947年2月25日よりオランダ王国初の王室専用機として1961年まで運用された。
登録番号については大戦前にオランダのユリアナ王女と結婚したベルンハルト・ファン・リッペ侯子(Prince Bernhard)の頭文字を引用してPH-PBA (*AはAlpha)とした。
しかし、1961年3月には老朽化した王室専用機をフォッカー・フレンドシップ(PH-PBF)に置き換えられた。その後1975年7月にはスキポール空港の当時のAviodrome航空博物館に引き取られ、KLM塗装に塗り替えられた機体の登録番号はPH-TCBとなる。
1996年にベルンハルト・ファン・リッペ侯子(Prince Bernhard)は、”Prince Bernhard Alpha”財団を設立し、国際ロータリーや世界自然保護基金(WWF)の設立などに関わり、多くの国際貢献に寄与してきた。そのベルンハルト侯子の主導のもと、Aviodrom航空博物館に保管されていた機体をレストアし、再度-PBAの機体番号を復活させ、1998年よりDDA Classic Airlines のボランティアによって管理され現在に至ってきている。
2003年には、同年12月7日に誕生した現オランダ国王の長女で王女であるカタリナ=アマリア・ファン・オラニエ=ナッサウから機体名を”Prinses Amalia(プリンセス・アマリア)”と命名した。
オランダ王国初の政府専用機として運用が始まったこの機体にはオランダ王国の繁栄と未来のオランダ王国の女王を祝福する意味が含まれている。
DDA Classic Airlinesの略歴
1982年に2人のトランサヴィア(Transavia)航空のパイロットによって設立されたDDA(Dutch Dakota Airlines)は、1984年5月にフィンランド空軍から最初のDC-3/PH-DDA(旧DO-7)を譲り受けた。その間、KLMオランダ航空を退社したばかりの認証スタッフが技術部門を形成し、整備全般と尾輪式航空機の操縦訓練と技術向上を目指すことになった。そして企業と航空機愛好家たちが財政的なサポートを始め今日に至ることになる。
事業の拡大と共に、2機目のDC-3/PH-DDZ(旧SU-BFY)は1986年にエジプトのピラミッド航空より購入、運行体制の汎用性を目指したが、エンジンに問題が生じ、定期フライトでの運行は限定的であった。それでも古のマーチンエアー(Martinair)の塗装を施したDC-3は多くの航空機フアンを虜にした。
1996年9月にはPH-DDAは、オランダ北部のテクセル島近郊で墜落事故を起こし、1年間の運行停止後、3機目にあたるDC-3/PH-PBAが1998年に導入された。
王室専用機として飛行した端正な機体塗装には、オランダ皇太子妃にちなんで「Princess Amalia(プリンセス・アマリア)」と命名され、-PBAはPrince Bernhard Alphaの頭文字を機体番号にしたことでも話題を博した。
◻️掲載誌:月刊エアライン3月号/2025年 イカロス出版

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