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Deutsches Technikmuseum Berlin, Germany

往年の名輸送機「ダグラスC-47スカイトレイン」が出迎えてくれるベルリン・ドイツ技術博物館は1982年、当時ベルリンが東西に分断されていた時代の西ドイツ側に設立された。この博物館では、鉄道技術、自動車などの工業技術や通信、エネルギーなど多様なコレクションが収蔵されている。航空機の展示施設も2005年以降新しくなり、航空技術の解説の他、当時の世相や航空機の製造工程なども貴重な写真やイラストで解説されており、より深く興味を持って見学ができるよう工夫されている。


金属機体の誕生

「気球からベルリン大空輸まで」というテーマで航空技術に関する展示は、新館の3階と4階に40機にのぼる航空機がコレクションされ、館内にはツェッペリン飛行船の模型、リリエンタールのグライダー(レプリカ)、ハインケル爆撃機、メッサーシュミット戦闘機やユンカース航空機、そしてBMW社やダイムラー・ベンツ社などの航空機エンジンなど、「技術立国ドイツ」の魅力を余すところなく見学ができる。

航空機、特に「戦闘機」は第一世界大戦(1914年7月-1918年11月)を契機に急速に発達したことは読者のみなさまもご周知のとおりである。この時代ベルリンでは1910年にオランダ人のフォッカーが設立したフォッカー社が鋼管フィレームに羽布や合板を張った最初の実用戦闘機を1914年に開発している。そして1917年に登場したフォッカーD.Vll(D7)では、当時としては、画期的な同調式機銃装置を搭載し、空中戦での戦闘能力の向上に影響を与えた航空機であった。また、元来ボイラーやラジエター製造を手がけていたユンカース温水製造会社が1915年に全金属製である中翼単葉機ユンカースJ1を開発。その2年後には低空からの偵察や地上攻撃のために開発されたユンカースJ4など、「戦闘」以外に攻撃機、爆撃機、偵察機など用途別の航空機が誕生したのもこの時代である。


旅客・貨物輸送の先駆け

第一次大戦後の欧州では「航空輸送事業」に脚光が浴びることになる。これは戦時中に鉄道網や橋が破壊され、陸での輸送ルートが限定されたこと、そして英国をはじめフランス、スペインでは「植民地政策」で苦慮していた時代でもあり、航空政策は先端技術の総和として植民地での優位性を誇示し支配そのものを安定させるため「航空輸送」は重要な役割を担った事による。

時を同じくして第一次大戦に敗北したドイツでは、この欧州の需要に応えるが如く、フォッカー社やユンカース社が中心となり民間航空機製造に乗り出していく。

ユンカース社では1919年にユンカースF13を開発。全金属製の機体にBMW製185馬力エンジンを搭載し、近代的な「旅客輸送」の先駆けとなる航空機であった。一方、フォッカー社は1919年に新会社をオランダに設立、そして1922年にはアメリカに渡り、4年後の1926年には近代的旅客機スーパーユニバーサルを開発、初飛行に成功している。この航空機は、英国製のデ・ハビランドやフランスのファルマンより当時としては航続距離が長く、整備性にも優れておりオランダのKLMを中心にアメリカ、カナダ、オーストラリア、日本の民間航空で採用されている。

さらに1922年には、ドイツ北部のロストック近郊でハインケル航空機製造が設立され、1932年にはハインケルHe70高速郵便飛行機がデビュー。区間距離速度で8つの世界記録を樹立し、最大速度は377 km/h (222 mph)に達する素晴らしい高速性能を発揮した。当時ルフトハンザ航空では、このHe70を購入しベルリンを拠点にケルン、ハンブルグ、フランクフルト線に就航させ、これがハインケル社の民間輸送として最初の成功となり、その後、同じく民間用輸送機として開発が進められたハインケルHe111(後の爆撃機)の製造に継承されていくことになる。

当時ベルリンには小さな航空会社が乱立していたが、1926年にはルフトハンザ航空に統合され、同年5月からは夜間飛行も世界に先駆けて運行され、貨客両面でのサービスを充実させていくことになる。


ユンカースJu52の誕生

1930年に1基のエンジン搭載の旅客機としてユンカース社によって設計された。その後、ルフトハンザ航空の要望により改良が加えられ、実用的かつ生産力の高い機材へと発展し、1932年3月7日には3基のエンジンを搭載したJu52/3mの初飛行が行われ、本格的な「旅客輸送」が開始されることになる。

当時のJu52の客室は13席から17席設置できるよう設計され、機内には防音が施行、冷暖房が完備していた。そして機体表面はユンカース社のシンボルであるジェラルミンの波打ち形外板(コルゲート)を張り、軽量化と機体の強化を行い、小さな飛行場での運用も可能にした。1930年代前半は、ルフトハンザの主力旅客機として多用され、フィンランド、スペイン、フランスそして南アメリカの国々にも輸出されていた。

 第二次世界大戦中(1939年9月-1945年9月)は、Ju52は主にドイツ空軍の輸送機として運用されるだけでなく、掃海機、曳航機もしくは爆撃機としても運用された。しかし、ユンカース流の鋼管構造とジュラルミン波板による機体構造は、1930年代の後半にもなるとダグラス社のDC-3が装備するモノコック構造、輸送搭載能力や巡航速度など飛行性能を上回る新型輸送機がアメリカで登場し、早くも時代遅れ感が強い機体となった。


ヒトラーの専用機

 米国のDC-3の成功により旅客市場が脅かされたドイツでは、長距離飛行が可能な旅客機の開発が急務となり、BMWエンジン4基を搭載したフォッケウルフ製Fw 200コンドルがルフトハンザ航空向けに製造された。旅客定員は25名、航続距離は3.000kmに及び、試作機は1937年に初飛行に成功し優秀な性能を示した。

そして翌年の1938年8月には大西洋横断無着陸飛行を成功させ、同年11月にはベルリンのテンペルホ-フ空港から東京の立川飛行場へも飛来している。第二次世界大戦が勃発すると民間で使用されていたコンドルはドイツ軍に徴用され、長距離哨戒・爆撃機として250kg爆弾5発が搭載できるまでに改良されたが、元来旅客機として設計された機体は、対戦闘機防御が貧弱であり、また戦闘時の激しい操縦には耐えられず事故も多発した。そのため本来の輸送任務に戻されると、ヒトラーを始めナチ党員や国防軍の高官専用機として運用された。


第二次世界大戦終了まで輸送機の主力であり続けたJu52やFw 200。これは航空機としての信頼性と整備性の良さによるものであったが、大戦当時のドイツが戦況の悪化のため、より近代的な輸送機の開発と、量産体制が組めなかったことも歪めない事実であった。またFw 200コンドルは、ドイツ技術博物館の支援も受け2001年から始まった機体再生計画の中で、1948年「ベルリン大空輸」の舞台となったテンペルホ-フ空港のハンガー7にて、この夏以降開催されるシネマイベント等で一般公開される予定であり、筆者も実機を見学したいと思っている。


訪問のための一般情報


ベルリン・ドイツ技術博物館

Deutsches Technikmuseum Berlin


住所  :Trebbiner Str. 9, 10963 Berlin 電話番号:030-902540 URL :www.sdtb.de

開館時間:火〜金9:00〜17:30、土日10:00〜18:00

     **最終入場は16:00

入館料 :大人 €8,子供€4 **毎月第一日曜日は入場無料


⬜️掲載誌:月刊航空情報 2022年10月号/せきれい社


General Information for your visit


Deutsches Technikmuseum Berlin


Address : Trebbiner Str. 9, 10963 Berlin

Phone number : 030-902540

URL : www.sdtb.de

Hours: Tue-Fri 9:00-17:30, Sat-Sun 10:00-18:00

     **Last admission at 16:00

Admission: Adults €8, Children €4

**Free admission on the first Sunday of every month


Published Magazine: Monthly Aireview October 2022 / Sequireysha Ltd.



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