Deutsches Flugwerft Schleißheim, Oberschleissheim, Germany

ビールの祭典、オクトーバーフェストでも有名なバイエルン州の州都ミュンヘン。アルペン街道やロマンチック街道の要所でもあり、年間700万人以上の観光客が訪れるドイツでも屈指の観光都市である。そのミュンヘンの北約20kmの地オーバーシュライスハイムには、ドイツ博物館の分館に当たる「シュライスハイム航空館(フルークベルフト・シュライスハイム)」があり、1世紀にわたるドイツ航空史を70機の展示機を見学しながら学習することができる。また、この航空館は、ドイツ最古の飛行場の跡地に立地しており、展示施設の「整備格納庫」の建物そのものが重要な「産業遺産」となっている。今月号では、シュライスハイム飛行館に展示された航空機の魅力についてお伝えする。


100年のドイツ航空史を振り返る

ミュンヘンの博物館島の航空宇宙コレクションでは収容できない展示機を保管するために改装された航空館は1992年9月18日にオープンした。この地は、元来「ロイヤル・バイエルン航空会社(Royal Bavarian Flying Corps.)」の飛行場及び整備工場として1912年にオープンし, ドイツで現存する最古の飛行場の建物の1つとなっており、第一次大戦中(1914年-1918年)は、パイロット補充部隊の駐屯地として使われ、運行乗務員、パイロット、整備士などの育成が行われた場所である。

1927年からはパイロット専門養成所"Deutsche Verkehrsflieger-Schule"として多くの傑出したパイロットを送り出し、また、民間事業の分野では、シュライスハイムからの定期便と旅客便の運航が実施された。しかし、1933年ナチスが権力を掌握後は、軍備拡張や戦争準備のため空軍基地としての機能を高め、戦闘機パイロットの訓練養成学校、そして1943年以降は夜間戦闘の訓練もこの地で行われた。しかし、1944年以降、連合軍の空爆により飛行場は大きなダメージを受け終戦。戦後はアメリカ軍が駐留し、1968年までアメリカの輸送ヘリコプターの基地"Schleissheim Army Air Base"として使用された。その後、1981年までドイツ連邦軍により使用された後、軍事的利用はなくなり、現在はドイツ南連邦警察やいくつかのフライトクラブにより使用されている。


見所が多い展示館

7500平米の展示館は旧ハンガー(Historic Maintenance Hunger)と近代的なガラス建築のExhibition Hallと2つの大きな複合の建築物に分かれており、初期のグライダーからユーロファイターまでの航空機を見学する事ができる。また両ハンガーを繋ぐスロープの途中には、機体の修復する”Work Shop”があり、見学者は誰でも修復中の機体を見学する事ができる。それでは、これからドイツが製造した傑出された代表的な航空機を紹介していく。


Focke-Wulf Fw 44 J Stieglitz

1932年に初飛行したFw 44 Stieglitz(Goldfinch)複葉機は、1940年代で最も有名な訓練用および曲技飛行用の飛行機であった。 当時はゲルト・アハゲリスやエルンスト・ウーデなどの有名な曲技飛行パイロットが国際大会で勝利を収め、操縦性も良くB型からJ型までが生産され、アルゼンチン、ハンガリー、トルコなど世界16ケ国でライセンス生産された。また、ドイツ国内においては、1945年までドイツ空軍の標準練習機として運用された。ここに展示されているJ型は最後の量産型であり、7気筒110馬力(hp)のジーメンス=ハルスケSh14エンジンを搭載した機体である。


MBB-SIAT 223 Flamingo PFM

戦後のドイツ民間航空の再開に伴い、ルフトハンザドイツ航空とスイス航空から自国産パイロットを養成する練習機の必要性からMBB-SIAT 223フラミンゴは、曲技飛行機能を備えた3人乗りの練習機、ならびにスポーツ飛行が可能な航空機として設計された。ドイツとスイス以外ではスペイン、トルコで運用されることになっていたが、開発コストが大きくなり、1970年代初頭にその製造はスペインのCASA航空機工場に移され、そこで50機が製造され、残りの17機は、スイスのファーナー(Farner)社がライセンスを受けて製造した。

1986年4月16日にポルシェPFM 3200エンジンが搭載された機体が初飛行したが、生産計画は資金面から難航し、結果として生産された合計96機のフラミンゴの内、ドイツで製造されたのは29機となった。



Heinkel He111 H-16(CASA 2 111B)

1934年初頭、10人乗りで高速飛行が可能な旅客機の開発依頼がルフトハンザから上がり、ユモ211 F-2エンジンを搭載した最新の空力設計と全金属製の構造や格納式の着陸装置まで、多くの新しい設計機能を持った機体が提案された。当時、ドイツ空軍もこの設計に興味を示し、爆撃機としての採用が検討された。結果、定期便を運行する予定のルフトハンザには12機が生産されただけで、爆撃機として1935年から製造されたHe111は終戦までに約6500機が製造され、ルーマニア、ハンガリー、スペインを始め8ケ国で運用された。同時期、日本は「日独伊防共協定」を結んでおり、九三式重爆撃機の老朽化に伴い、陸軍は開発が遅れている「高速で飛行」できる新鋭爆撃機の中継ぎとしてHe111の輸入交渉を行ったが、ドイツ軍部からの賛成が得られず実現しなかった。


Messerschmitt Bf109 E

メッサーシュミットBf109は単葉、全金属・応力外皮式、密閉式の風防、引込脚など、第二次世界大戦の単座戦闘機で主流となる形態を世界に先駆けて備えていた。Me109とも呼ばれ、大戦中の公式文書でもMe109と記述された。しかし戦後、英国の航空機研究家から「バイエルン社時代の設計なのでBfにすべき」との意見が出され、Bfと表記されることが主流となり、今日にいたっている。搭載されたエンジンはダイムラー・ベンツ(DB)601/605であり、高圧縮低回転の燃料直接噴射ポンプが装備され、大戦初期において操縦性、運動性、高速性などで他国ライバル機に対して優位を保った。ドイツ以外では、スペイン、フィンランド、チェコスロバキアなど8ケ国で運用され、日本においても1941年6月に3機のBf109 E-7が実験用に渡り、各務原陸軍飛行場(現:岐阜基地)にて試験飛行が実施された。日本陸軍は開発中のキ44(二式戦闘機「鍾馗」)と比較飛行を実施し、速度・加速力・上昇性能・格闘戦能力など飛行能力で全面的にキ44が上回っていたため、キ44は欧米の新鋭戦闘機に対抗可能な戦闘機として実証され、前線に投入されたエピソードも残っている。


Dornier Do24 T-3

1937年11月より運用が開始されたDo24は、ドイツ空軍によって長距離偵察機、輸送機、そして第二次世界大戦中は主に海上救助機として使用された。 高さ1メートルまでの波の荒れた海でも離着陸が可能で、機体の耐久性も当時としては高く、1937年から1945年の間に、ドイツ、オランダ、フランスを中心に世界7ヶ国で運用された。現役最後のDo24は、1969年までスペイン空軍で運用され、1944年に合計12機のDo24 T-3を受け取り、マヨルカ島からの海上救助に従事していた。

本国ドイツにおいては偵察・哨戒用飛行艇としてブローム・ウント・フォスBV138の配備が始まっていたため、当初はDo24に対する関心は薄かった。しかし、第二次世界大戦開戦により海上救難、洋上哨戒、輸送に利用できる航空機の配備が急務となり、注目を浴びる事になる。また、大戦中の1940年にはオランダを占領したことにより20機のDo24とその製造ラインをオランダで確保できたことも幸いし、海上救難用の機体として正式に採用され、その生産は主にフォッカー社が主導し、1944年末までに約180機が生産された。


VFW Fokker VAK 191 B

1961年、イタリアとの共同開発で始まった実験用航空機VAK191 Bは、高亜音速用の垂直離陸(VTOL)、単座戦闘および偵察機のプロトタイプであった。開発にあたっては、フィアットG-91地上戦闘および偵察ジェットの垂直離陸後継機に対するNATOの要望に基づいており、ロールスロイス推力偏向エンジン(MTU RB.193-12)を装着したスイベルノズルを備えたリフティングおよびマーチングエンジンと、前後に2つのリフティングエンジンの組み合わせで全体の機体構成が決定した。試作機3機が作られたが、当時の開発プログラムは何度か修正され、1968年にイタリアがプロジェクトから撤退した後は、技術実証機として実験的なプログラムに格下げされ、1971年9月に初飛行が実施されたが、多額の開発費(2億5千万ユーロ)が費やされ、1年後の1972年に開発中止となった。その後、VAK 191 Bの飛行試験は、1970年代半ばに米国で再開されたが、シリーズ生産には至らなかった。


Dornier Do 31 E-3

Do 31は、ジェットエンジンを搭載した世界で唯一の垂直離陸(VTOL)輸送機である。開発過程において60年代、ドイツ空軍は東側諸国からの飛行場攻撃に対して脆弱であると判断。その解決策の一つとして、垂直離陸機の開発は急務であった。1967年から1969年にかけて2種類のプロトタイプが制作され、垂直離着陸の研究とテスト用の実験用航空機として使用された。輸送機の胴体には3トントラックを収容することが可能で、離陸重量21トンの航空機を垂直に空中に持ち上げるために、総推力300 kNのロールスロイス製エンジンが合計10基搭載され、当時のNATO諸国から注目されたが、実用化はされなかった。

全ての航空機を紹介することはできなが、ドイツの航空機を見るならまずは、ここ

シュライスハイム飛行館へ足を運んでほしい。


訪問のための一般情報


ドイツ博物館・航空別館 住所:Effnerstr. 18 Oberschleissheim 開館時間:9時から17時まで。毎日開館 最寄駅:Oberschleissheim(オーバーシュライスハイム駅)/徒歩20分 Web sight : http://www.deutsches-museum.de/flugwerft/information/ (英語あり)

大人:7ユーロ(2021年3月現在)

子供達:子供、学童、学生:3.00ユーロ(5歳までの子供は無料)

グループ:20人以上のグループ:5.00ユーロ


◽️掲載誌:月刊航空情報 2021年8月号 / せきれい社


General information for visits


Deutsches Flugwerft Schleißheim, Oberschleissheim,

Germany

Address: Effnerstr. 18 Oberschleissheim

Opening hours: From 9:00 to 17:00. Open daily

Nearest station: Oberschleissheim / 20 minutes walk

Web sight: http://www.deutsches-museum.de/flugwerft/information/ (English available)

Adults: EURO (as of March 2021)

Children: Children, school children, students: 3.00 euros (free for children up to 5 years old)

Group: 20+ groups: 5.00 euros


◽️ Published Magazine: Monthly Aireview August 2021 / Sequireysha Ltd.

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